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G.M.C.クインティナ(じー・えむ・しー・くいんてぃな)のホームページへようこそ! G.M.C.クインティナは島根県で唯一、お隣の鳥取県を含めた山陰地方でも数少ないギター・マンドリンクラブです。メンバーは休部中の人を含めて約60名、学校を卒業したばかりの人から仕事を定年退職した人まで幅広い年齢層の人がいます。

2013年から、創部以来21年間部長を務めた明石啓孝に代わり、周藤一志が部長を務めています。ここでは部長の周藤から皆様へのごあいさつをしたうえで、このクインティナがどうやって誕生したのか、その生い立ちをご紹介しましょう。

なお、初代部長明石啓孝のあいさつはこちらに掲載しています。

部長のあいさつ

部長G.M.C.クインティナのホームページをご覧いただきありがとうございます。
私たちは島根県唯一の社会人によるギター&マンドリンクラブです。

創立は1991(平成3)年12月、山梨大学マンドリンクラブに所属していた明石啓孝(当クラブ初代部長)が、地元島根県にマンドリンクラブを創りたいという想いから、メンバーを集めたことに始まります。
それから21年後、2013(平成25)年1月、私が明石啓孝から部長のたすきを譲り受けました。

クラブの主な活動は、毎年8月末~9月初めにプラバホールで開催する定期演奏会と、12月に開催するクリスマスコンサートです。また、依頼があれば、都合のつく限り出かけて演奏させていただいています。
依頼演奏では松江市内在住のメンバーを中心に、歌謡曲、ポップス、アニメソングなどを好んで演奏しています。
また、部員同士がユニットを組み、クリスマスコンサートや、松江市内外のイベントで演奏をすることもあり、個人の活動に幅が広がっていると同時に、部内にも良い刺激を与えています。
定期演奏会では、県外部員、県外友好団体等の賛助者も加わって、大規模な編成での、マンドリンオリジナル曲やクラシック曲も演奏しています。
県外在住の愛好家も一緒にステージへというのがクインティナの大きな特徴となっています。

私たちは、縁に支えられ一緒にステージで演奏してくださる仲間、諸事情で演奏には参加できなくてもクラブを応援してくれる部員、演奏会を支えてくださるスタッフ、そして演奏会に足を運んでくださる皆さんへ、感謝の想いで音を奏で続けていきます。

G.M.C.クインティナ 部長 周藤 一志

 通常練習は第二・第四日曜午後に松江市内の公民館で行っております。
 ご質問・お問い合わせに関してましては、下記メールアドレスよりお願いいたします。
 gmc.quintina[あっと]gmail.com ([あっと]の部分を@に変えて送信してください)

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生い立ち

ギター何をするにしてもそうですが、
「マンドリンクラブを新規に立ち上げる」というのは本当に大変なことでした。
当時島根県には、マンドリンクラブはなく、
マンドリンの音色さえ地域に浸透していない状態でした。
経験もない、メンバーもいない、
そんな手さぐりの状態から開始したG.M.C.クインティナです。

年月日 出来事
1990年
松江近辺で互いに別々の活動をしていたメンバー3人が、A氏宅に集合。演奏会を企画しました。
曲目の選考からアレンジまで手がけていたのですが、残念ながら企画倒れとなってしまいまいました。
(あの時作成した楽譜は、どこへ行ってしまったのでしょうか?)
1991年
山梨大学マンドリンクラブの夏合宿に、そのOBであるA氏が出席した際、集合したOB達に、松江でマンドリンクラブを結成し、演奏会を開催する企画を持ちかけました。
なんと、これに賛同したメンバーが5人。山梨-松江の距離を超越して、企画を進めることになりました。
この話を松江に持ち帰ったA氏は、再び松江のメンバーに伝達。にわかに、演奏会の開催が現実のものとなったのでした。
1991年
松江5名+山梨6名で、ここ松江の地にマンドリンクラブが結成されました! 発案より約1年、ようやくスタートです。
1回目の企画会議が、山梨県で開催されました。この時のメンバーは、松江2名・山梨5名の参加。顔合わせ的な要素が強い会議でしたが、着実に演奏会開催に向けて動きだしました。
1992年
第1回演奏会を「夏」に設定し、活動を開始しました。この時はまだ、「定期演奏会」という言葉すらないときでした。第2回があるかどうかさえわからず、とにかく1回演奏会をやってしまえ! という感じでした。
「クインティナ」の名前が決まったのも、この時期。古楽器の名前から命名しました。
1992年
7月10日
第1回演奏会の前日、初めてメンバー11名が集合し、合奏練習をしました。この演奏会に向けた、最初で最後の合同練習でした。今考えると、本当に無謀かな?と思いますが、当時としては、これが精一杯。松江-山梨の距離の大きさを実感した出来事でした。
この時の教訓として、次回の演奏会からは、「合宿」を設けて、合同練習の時間を増やす取り組みを行い始めました。
合同練習の時間が少ないことは、当初からわかっていたため、第1回演奏会のプログラムは、自ずと小編成でのアンサンブルが中心で、合奏は2曲のみ、という現在の定期演奏会とはずいぶんスタイルが違うものでした。
1992年
7月11日
記念すべき第1回演奏会が、見事開催されました。合奏に関しては、指揮者もおらず、コンマスの首が指揮棒代わり。少人数だからできた技ですね。
とにかく第1歩を踏み出した、クインティナにとって本当に重要な演奏会でした。

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